益子時代・3

もう30年も前、益子でお世話になった小口窯は城内坂の北、道祖土(さやど)にある。敷地は500坪ほど、道路側から薪置き場、細工場、登り窯、そして一番奥の少し高くなったところに母屋があった。当然登り窯はその傾斜したところにあった。

細工場はかなり古く、たぶん初代が立てたと思われ、70~80年前から使っていたらしい。土壁はそこらじゅう落ちていたし、敷居は腐ってしまっていたので戸板をいちいちはめて戸締りをしていた。さすがに今はもう立て替えてしまっただろうと思っていたら、先日小口窯を良く知っているというお客様がしもつけ窯に来てくれて、その細工場は今でもそのまま使っていると聞き、ん~感無量!

小口窯は益子焼窯元協同組合に入っていたので、粘土は大量に安く購入できた。一度に2トン!今のようにビニールの袋になんか入っていない。はだかのまま、細工場の土間に直接土を盛り上げ、乾かないように水をかけ、大きなビニールを何枚も広げて土の山を巻いて保存する。使うときは必要な量だけワイヤーで切り取って揉んで使う。

土間の一角には囲炉裏が切ってあって、鉄瓶でお湯を沸かしていた。囲炉裏はお茶のためだけではなくて、釉薬の原料の土灰を作るため、そして一番の利用目的は暖房のために無くてはならないものだった。30坪ほどの細工場は真冬でも暖房はそれだけ。もう何十年も薪を燃やし続けてきたので、天井や梁のススは半端じゃなく真っ黒でときどき頭や肩に落ちてくる。そこまでススが付く理由は、土が凍らないように冬の間は一晩中薪を囲炉裏の灰の中で燻らせるから。パーッと燃さずに灰の中でプスプスと燻らせると、一晩中火が消えずに煙が灰から出続ける。この煙が細工場に充満して暖めてくれるというわけだ。ウーンエコです。
でも、その代わり煤があたまに降ってくる。朝8時に細工場の戸板をあけると、火事じゃあないかとあわてるほどの煙がもうもうとでてくる。

益子は雪は少ないけれどなかなか寒い町で、うっかりするとロクロで作った作品一日分ぜんぶ凍ってしまってダメにした友人の話など良く聞いた。我が小口窯には囲炉裏はあっても、隙間だらけの戸や壁から冷気が入ってくる。蹴ロクロをするのに冬でも足袋にゴム草履なので、つま先にはしもやけがよくできた。

こうして書くと愚痴ばかりに思えるかもしれないが、じつは本人はかなり誇らしい気持ちでいる。こんな経験今ではなかなかできないだろうから。

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  1. 所属していた大学美術部の新聞に寄稿しました。

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